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たぬきの寝言A


猫のはなし 三原浅次郎

 最近、猫を飼っている。生後二カ月のペルシャ猫だ。家内は犬猫を飼う事に反対で、嫌いと云うよりも、恐いらしい。
 やっとお赦しを得て、デパートで買入れて、現在、五カ月。拙宅の家族の一員である。
 五人の子供達がそれぞれ独立して別居しているので、家には私と家内二人きり。
 孫は十数人いるが、私の手許にはおらず、誠にいえば気楽だが、淋しい生活である。
 初めは家内も、あまり関心がなかったが、最近はどうしてどうして(猫の名はポコという)朝はポコから始まり、夜はポコで終っている。
 毎朝六時、家内の顔を手でなでたり、舌でねぶって起し、食事の請求をする。その時間は正確で、まるで目覚時計の如しだ。
 私に対する愛情の半分は猫に取られた感じ。ポコも私などは無視している。
 犬は人間の機嫌を取り、猫は人間に気嫌を取らす、と、よくいったもので、誠にその通りである。
 然し、家内と猫、人間と動物の行き交う情愛を、横から眺めているのも中々楽しいものである。ほのぼのとしたものを感じている私は、結構ポコ″のお陰だと思っている。
  唯一、一匹の猫との愛情の交流。
 このささやかな、なんでもない小さな事にも幸せ″というものがひそんでいる事を、今更ながらしみじみ知らされた。
 (風邪ひき男のたわごと)
 
 (昭和51年7月)
 
 




何も入っていないオムレツの話 三原浅次郎

 たまの休みに家内のおともで心斎橋の大丸へ出掛けたが、案の定、服の売場、ハンドバッグの売場、アクセサリーの売場。後(あと)をついてトボトボ歩きながら、ボチボチ腹が立ってきた。
 ふくれ面(つら)が見にはいったか、ここらが潮どきと見たのか、ようやく大丸から開放された。
 向い側にちょうど昼時、腹のへった目にオムレツ専門のレストランが目についた。以前に来たことのある家内の提案で決定。申しおくれたが、家内の友人一人同伴である。
 三階にあるレストランは、仲仲シャレた店で、割合に空(す)いていて静かである。
 席についておもむろにメニューを開いた。家内たち二人はミートオムレツ、私は何も入っていないプレーンオムレツ。プレーンオムレツはフォークですくいにくいが、口に入れた時のツルーとしたあの感触、歯で噛めないが舌にのせて、ゆっくりした味わい方が好きである。
 ところが注文をすると「出来ません」との素気ない返事である。
 「なぜ」とまた、ムクムクと私の癖が出てきた。
 メニューに書いてある以外は「出来ません」との事。「ミートオムレツにミートを入れなければよいのと違うか」と言ったが、メニュー以外は出来ませんとの事。
 家内が早速、私のシャツの袖を引っぱりかけたが、私はお仕着せや型にはまって唯唯諾諾(いいだくだく)は最も嫌な事。
 「君のところのコックは、プレーンオムレツを作れないんか」と挑発的な暴論を吐いてやった。
 給仕の女の子が半泣きになって奥へ行って、入れ変りに店長がやって来た。
 今までの経緯(いきさつ)を聞いてきたのか、「お客様のご意見には私も賛成でございますが、なにぶん店の方針としてメニュー以外のものは出してはいけないと社長に言われております。私も方針会議には、お客様の御意向を提出したいと思いますので、今回のところはお赦(ゆる)し願いたい」との事。仲仲もって丁寧な断り方である。
 家内に睨まれたり、同伴の方にも多少不愉快な目に合わしたので、しぶしぶ妥協してエビオムレツをイヤイヤ注文した。
 ところが、できた料理が誠に旨い。非常に旨い。文句を言ったのが恥ずかしいくらい、旨い。
 「ああ旨かった、ご馳走さんでした。又よせて貰います」と、これは心からお礼を言って腰をあげた。
 家へ帰ってビッショリ油をしぼられたのは、勿論のことである。
 
 (昭和56年8月18日)
 
 




「えヽかっこう」をした話 三原浅次郎

 道を歩いていると、家の軒先に色々の草花を植えて美しい花を咲かせているのを時々見受ける。綺麗な鉢に植えられているばかりではない。時には古いポリバケツや木の箱などに植えてあって、そこの家人の奥床しい心ともども道行く人の目を楽しませてくれる。
 早速、私達も真似をした。幸い家内も草花が好きだが、自分に栽培する能力がないので、百貨店や花屋さん、または行商の花売りから買って表に置いている。勿論、高価なものではない。
 しかし、ある日、残念なことにごっそりその花達がいつの間にか盗まれた。そんなことをせずに道行く人と一緒に楽しんでくれたならと、なげいたが仕方がない。家内も、盗られたら阿呆らしいからと買うのをやめようとしたが、次のように説得した。
 こんな安くて誰でも買えるような花を盗むというのは、よっぽど花が好きだが買えない事情のために心ならずも盗んだに違いない。花はどんな人に対しても平等に美しく咲いてくれるんだから、それはそれで良いんじゃないか、と。
 また、家内はせっせと時期、時期に安い草花を買っている。しかし、次のように紙に書いてその傍に貼りつけた。
 「欲しい方は持って行って下さい。但しその花を可愛がって下さるのを条件と致します」
 不思議なもので、以後いろいろの草花は減らないで買っただけ少しずつ増えていって、私達を楽しませてくれている。
 
 (昭和54年12月14日)
 
   




お豆腐のこと 三原浅次郎

 昨日、会社のハイキングで、京都嵯峨野へ行って参りました。化野の念仏寺へお詣りしたところ、その前の箱の中に「豆腐」という題で、すばらしく私達の心を打つような刷り物が置いてありました。自由に戴いてもよいように置いてあるので、私もこの刷り物を戴きました。読めば読むほど誠にその通り。心から感服致しました。ご参考になればと思い、御手許までお届け申し上げます。
 お読みの上、ご同感願えれば幸甚の至りです。
 
    「豆腐」
 
   信仰は お豆腐のようになることです
   豆腐は 煮られてもよし
   焼かれてもよし 揚げられてもよし
   生で冷奴で ご飯の菜によし
   湯豆腐で一杯 酒のさかなによし
   柔くて 老人 病人の お気に入り
   子供や 若い者からも 好かれる
   男によし 女によし
   貧乏によし 金持ちによし
   平民的であって 気品もあり
   上流へも好かれる
   行儀よく切って 吸物となり
   精進料理によし
   握りつぶして味噌汁の身となり
   家庭料理に向く
   四時 春夏秋冬 いつでも使われ
   安価であって ご馳走の一つに数えられ
   山間に都会に ・・・ どこでも歓迎せられる
   貴顕や 外客の招宴にも 迎えられ
   簡単なる学生自炊生活にも 喜ばれる
   女は特に 豆腐のようでなければいかぬ
   徹した人は 豆腐の如く柔くて しかも形を崩さぬ
   味がないようで 味があり
   平凡に見えて 非凡
    (原文のまま)
 
 (昭和61年3月31日)